<第一章>その十

第一章 試練は、学び、ということについて

その十)たましいの因果

いまある人間意識というものは、生まれる前にたましいの母体のようなものから、種を受け取って形成されたもの、と精神学では伝えています。つまり、肉体の形成には、卵子と精子が、精神の形成には、天と地の種子が授けられているという考え方です。これを受け入れると、人間の意識は、天の意識体ともコンタクトできるし、地の意識体ともコンタクトできるという、精神学が伝えている人間精神の可能性が理解できます。その人間のたましいに問題があって、人間の意識は、過去の因果律の中に封じ込められていると考えてみてください。それが、現行人類に課せられたカルマというものです。この問題に、先行して出会うために用意されたステージが、日本列島なのです。ところが、このたましいの問題に、いまの日本人が出会うためには、西欧文明、とくに一神教とその影響下で生まれた、さまざまな価値観、とくに唯物論と、そこに正当性を与えているように見える科学というものを、克服する必要があるのです。それはひとつの思い込みの宇宙といってもいいもので、そこに留まる限り、人間のたましいは、目的を見失います。人生は無目的となり、すべては偶然の産物となります。この意識の領域にいると、人間精神は内向する以外の道がなくなるのです。思考は停止しコモリ、コボレの世界に近づきます。

(つづく…)

二千二十二年 九月三十日 積哲夫 記