近現代の多くの宗教的活動は、教祖となるべき人間にとりついた神と称するものが、その意識体の目的を、人間を通して、この世に伝達しようとしてはじまります。それは、正しい神格のものでも、一般に邪神といわれているものでも変わりません。なぜ、そんなことになるかというと、神と称するものには、神になりたい、という強い方向性が与えられているからです。いってみれば、この宇宙は、神になりたい、というベクトルを与えられた意識体のための場ということです。ここで、そうした意識体とのコンタクトが何故、生じるかという説明はしませんが、その人間のたましいに、その役割が刻印されている場合と、人間世界の欲望達成のために、その人間がその種の力を求めた場合に分れるということだけは知っておくべきでしょう。古くは、前者の場合は、ほとんどが時の権力の弾圧の対象となりましたが、それには理由があります。後者の場合は、とくに日本の戦後社会においては、人間の欲求を増大化させるものには、人間が集まりました。それは、敗戦への反動で、この日本を早く滅びの道へ導く闇のエネルギーの増幅機関となりました。これにも、理由があるのです。