日本人は、日本語でものを考えます。明治維新で開国をして、外国語をすべて日本語に翻訳できたのは、その原語と同じ概念のデータベースを持っていたからです。半島や大陸の漢字文化圏の人間は、日本人が翻訳した多くの言葉によって、西欧文明の概念について理解したのです。つまり、日本語なしに、彼らの母国語での西洋型思考は生まれなかったのです。それは、科学技術でも同じで、あるタイミングまで日本語のテキストが役立ち、その後は、母国語ではない言語で科学的思考をするようになりました。その意味で、世界のほとんどの地域において、オリジナルの思考系を現在も持ち続けている民族は消滅したと考えるべきなのです。その主流となった英語にしても、思想や学術、科学などの分野で、ユダヤ系の人間がその分野のリーダー的思考を独占しています。それは、その思考系の背景にカバラやトーラーというヘブライ語の文書の思索パターンがあるということでもあります。これが、いまの時代の世界の最先端の知識のベースにあるものです。言葉によって人間は思考もしますが、感情は言葉に乗って、他人に伝わります。この共通の波動の場を持つことで、日本人は思いを共有してきたともいえるのです。