日本の皇室と縁を結んで、大日本帝国の勢力圏の内に入ることを希望していた太平洋の国がありました。それがハワイ王国です。アメリカ合衆国の民間人が移住して、ハワイをアメリカの領土とすべく活動する中で、日本はハワイを守るために、後の日露戦争で連合艦隊を指揮することになる東郷平八郎が艦長を務める巡洋艦「浪速」などの軍艦を派遣しています。それが、明治26年で、残念ながら、明治31年には、ハワイはアメリカに併合されてしまいます。その後もアメリカは、米西戦争をはじめ、太平洋のフィリピンなどを支配下に入れていきます。そのアメリカとは、直接に対峙したくない明治の日本は、唯一、残された道として、半島から大陸というところに向うのです。それは、亡国の道でした。すでにその時代、ハワイにも、フィリピンにも、多くの日本人が出ていて、日本海軍は邦人保護の名目で、フィリピンにも艦隊を派遣する実力もあったのです。この明治の日本の記憶が、大東亜戦争の戦略的には理解できない、海軍の真珠湾攻撃につながって行くと考えると歴史の読み方も変わってくるはずです。ハワイの女王がつくったとされる有名なアロハ・オエの歌には、遠い海の彼方の日本への思いが込められているという話があるのも、歴史的には自然なのです。