富は天に蓄えなさい、ということ。

現行文明が、イエスの時と同様に、何らかの権威を盗んだ人間グループがつくり出した、信用創造という魔術によって、経済を発展させてきたことに誰も異存はないでしょう。

問題は、イエスの時のエルサレムの神殿に祀られていた神の権威を誰かが盗んでも、誰も気付かず、国民国家という、国民みなのものである国家の権威を勝手に手に入れたとしても、その罪を問われることのない人間社会、そのものにあるのです。

その罪は、神々や人間をつくったと主張する神と自らを呼んだもののものです。それが、神もまた、光と闇の合体物に過ぎないということを証明しているのです。

神に神の問題は解決できない。この宇宙の内側のものに、この宇宙の問題を解決させるために、この宇宙は、人間が想定する神以上の存在によって用意されたものだとしたら、人間世界の富は、この宇宙の内側にいくら蓄えても、いくら、献金しても、何の役にも立たないことが分るはずです。精神学が伝えている天とは、この宇宙の外から見ているもののことです。