いまの科学では、人間が思考したり感情を爆発させたりしたエネルギーは、この物質宇宙のエネルギーにはカウントされていません。しかし、人間の意識活動が、身体の外に、エネルギーを出力していることは、インドだけではなく世界中で認識されていました。神や聖霊といったエネルギー体だけでなく、人間も、そうした精神界のエネルギー体であることは、過去の世界では常識だったといってもいいのでしょう。それまで、神々が、この世の人間と共にあった時代には、人間の意識する宇宙のサイズも、それにふさわしいものでした。ところが、神々が退場して、一神教の世になった時代は、地が主役で、天が動くという宇宙のイメージの中で、多くの人間は生きていたのです。その宇宙のサイズは小さいものでした。それから科学が宇宙を解明するにつれ、一神教の神は、この世界から退場していくことになり、現在に到っているのです。この流れが分ると、精神学が、神もプロセスに過ぎない、と伝えている理由が見えてきます。これまで人類は、神を上位のものとしてきたために、責任を問われることはなかったのです。その上位のものがいないと分った時から先の責任は、人間が問われることになるというのが精神界のルールなのです。