イエスの十字架の次を日本に用意。

イエスの十字架は、一神教の神からすれば、失敗、にほかなりません。そのイエスのたましいは、その他の神々の霊と共に日本に運ばれ、八幡神と呼ばれるようになりました。日本の皇室は、神の世界史と日本史をひと続きのものとして見るならば、古代イスラエルのまつりを継承した存在で、その男系男子のルールは、アブラハムからイエスと続く、救世主たる男のY染色体の秘密を伝えるための置かれたものだということになります。それは、一般的にいう、日ユ同祖論ではありません。日本列島の側から見れば、縄文人のY染色体が救世主の遺伝子だという主張にもなるのです。日本史をよく調べれば分かるように、記紀は、天武天皇のつくった世に生まれた書物ですが、皇統でいうなら天武の血筋は五代ほどで絶え、天智の筋になります。もっと面白いのは、そのY染色体の祖は、応神天皇というところです。神功皇后が生んだ応神天皇は、神の子であり、そこには処女懐妊のマリアが重ねられているのです。その次の仁徳天皇の有名な民の竈の話は、イエスが約束した御国の統治の姿をあらわしたものと考えれば、皇室の歴史には、この一神教の時代が反映されていると分ります。それが、日本神界が伝えてきた日本の仕組みのスタートです。