精神学という言葉は、私が、このハタラキの場に出されて、しばらくしてから、降りてきた言葉です。やまと言葉ではありません。降りてきた言葉は、続けて、精神学という文字も含め、このために、はじめから用意されていた言葉なので、あなた以外に使うことはできない、ともいいました。本当かな、と思って調べてみると、精神を学とするという言葉は精神学協会に授けられたものだとしかいえないものだと、納得できたのです。本のタイトルの「最終知識」も同様で、聖書の時代を終らせるための、本当に最終的な知識なのだから、ということで、これも降りてきたのです。私の経験で、このようなことがあるということの意味を理解すると、ひとりひとりの人間のたましいには、それぞれの宇宙の物語が投影されていて、そのたましいのストーリーを正しく読むための、基礎的な学問の体系が精神学ということになります。そこには、この物質宇宙についても、ひとりひとりの宇宙の投影があり、誰もが共有する宇宙の時空と、個別の時空があることを知る道筋があります。人間はミクロコスモスといわれてきました。精神界の情報でも、人間は外宇宙を脳内に投影して、自身の精神的宇宙を形成していると伝えられています。つまり、外的宇宙を示すマクロコスモスの正しい知識が反映されないと、ミクロコスモスの完成もないということです。そして、そこに道があるのです。