ご参考になるかなー

2023年6月24日pm1:15受

どこかへ出掛けて何かをするのは

その動いた人間の責任の範疇に

限られています

何ものかの指示を受けて動くものは

そこで何が起きたとしても

「自らの責任」として判断が為されます

あるものの存在の 声を聴くものたちには、

そこで 自らの自己判断というものが

問われることになる場面に

遭遇することになります

(これが本当に 正しい行ないであるのかどうか)

ということが、その場で徹底的に

問われることになるということです

自らの人間的な判断で

判別のつかない事が起きた場合には、

必ずその場で、天に問うという

おこないの必要性が出て来ます

人間的な私心(わたくしごころ)というものが

そこに介在をすると、間違った

こたえというものが

出て来ることになりかねないからです

にんげん的な、私心(わたくしごころ)

というものと、天に問い続けた結果として

もたらされた解答というものは

それこそ 天と地ほどの差のあるものなのです

あなたは媒介者に、過ぎません

あなたの私心を、そこで

介在をさせるな、ということなのです

にんげんという生き物には、必ず

(こうでありますように、こうであればいいな)

という個人的な思いのエネルギーというものが

存在をしています

その私心(わたくしごころ)というものが

ほんのわずかでも、その存在のうちに

残されていた場合、結果は異なるものと

なる可能性があるということを

知っておいたほうが、よいのかもしれません

特に、甘くてぬるいスピリチュアル系の

情報が大好きな方達、自らが、一体

どの領域に存在をしているのかを、

一度でよいですから、外から客観的に

ご覧になられてみてはいかがですか

(以上です)