2022年8月8日pm8:10~受
愛も勇気も正義も
存在しない家を、わざわざ
選んで生まれて来なくては
ならなかった理由、
というものを、自らの頭で、考えることです
誰もが望むような幸せは、
はじめから与えられていなかった、
その理由というものを、
自らの頭で、考え続けるということです
すべては「理」の世界で
構築されており、
その解答というものを自らで、
導き出すことが出来るのかどうか
という事が、あなたの存在の中にある
たましい、というものに問われています
聞こえるものには聞こえるし
届かないものには届かない、
その差、というものが何なのだか、
分りますか、分りませんか、
こたえは常にシンプルなものであり、
自らの汚れた汚点に目を向けたくないものには、
何をどのように伝え続けていても、
真実は届かない、ということなのです
他人の短所ばかりに
目が行くものは、自らの汚点に
気が付くことはありません。
自らが想像(創造)した、
自らが見たかった世界だけを、
構築しようとするから、なのです。
よく、よく、見ておきなさい
目を覚ましておきなさい、といった
その言葉は忘れられ、
自らが見たいものだけで世界を構築させようとする、
その縮図のようなものが、
そこに存在をしているとは、
思いませんか。
あなたがたの勇気が、試される、
という事は、何かの決断をしなくては
ならなくなった、その時に、
判断の基準を、どこに持って来るのか、
ということなのです。そこに
自らの利己的な願望や、
誰それとの利害関係といったものを、
一瞬でも持ち出してきた、その瞬間に、
構築されかけた、その仕組み、
というものは、破綻する、ということなのです
何かが、うまくゆかなかった、その理由を、
他人に押し付けているようでは、
同じステージでの堂々巡りを、延々と、
し続けることになる、ということなのでしょう
あなたが、そのたましいというものを
自らの努力において、磨き続けることを
怠らないのか、という事が、常に
問われ続けているということなのです。
人の世の、うつし身である、あなた方の
真価が(進化)問われているということなのです。
それらの時代は既に始まっており、
その方向性は、定まっているからなのです。
(~pm8:30)