八月十五日。
かぐや姫が、月に帰った日でもあるのだけど、この意味がずっと気にかかっている。
罪を犯して、月から地球に送られてきたのが「かぐや姫」。
月から地球の人々を救済しに、降りてきてくださったのが「みろく様」。
地球というのは、罪を背負った人が送られてくるような場であり、精神学的にいえば、闇が渦巻く真っ黒な珠が地球の現在ということになるのね。
なぜ、八月十五日に、かぐや姫は月に帰れたのか?
地球で罪をあがなったので、月から迎えがきて、許されて月へと帰ることができた。
月は人工物であるとかという説もあるぐらい、不思議な存在らしい。
大量の氷に覆われた月が、地球へ水を供給して、広大な海ができたという話もある。
さて、ここから推察できる八月十五日の意味。
出口王仁三郎氏の大(日)本教は、日本の型でありひな型であり、そこで起こることは現実の歴史の中に現れると伝えられた。そしてまた、日本は世界の雛形ともいわれている。
原爆ふたつを落とされた太平洋戦争の終戦記念日は、これも八月十五日になる。
この太平洋戦争も、日本で行われた型の一つと考えれば、タイムラグを経て、世界へ波及していくものがあるとするならば、往時の日本と同じように世界が戦いに負けていくということ。それは、膨れ上がった経済の戦いであり、お金の戦いであり、人間の世界のほとんどすべてが何らかの形で参加した太平洋戦争に替わって、多層に存在する精神界の存在、まさに死者も生者も、神も仏も悪魔も、闇も光も参加する戦争にも似た混乱であるしかない。
物語の中で、かぐや姫は八月十五日に許されて、月に帰還した。
地球にいる人間が、すべて罪人であるとするならば、自分が罪人であることを認め、悔い改めを知り、その罪を認めたものから、分けられていく。自分が罪人などとは認められないと思うが、「妬むもの」である神の容器に人間がなっている聖書の時代に生まれて、その深い闇はすべての人類に背負わされているのだとすれば、「自分は悪くない」と思うこと自体が、大きな罪であり、ふるいの役割をすることになる。
たったこれだけの、人間の内なる闇に気がつくことだけのために、モーゼ様からの三千五百年(旧約・新約含めて)の一神教の聖書の時代があったとする。
最後の審判。
自らの闇に、自分の中の罪を見つけて、それを認めるものは、全体から見ればわずかかもしれないが、それが宇宙の始まりから決められていた、意識体の進化の法則でもある。
今年の八月十五日。
先に、型としての戦争を終えた日本からは、罪を許されて月へと帰還するものが分けられる。
月への帰還。地球を、宇宙を超えていくことができる方向性。ひかりの道筋。
もうすぐ、その日がやってくる。
