〈プロローグ的モノローグ〉7

奥崎謙三は、ニューギニア戦線から九死に一生を得て帰還した人間です。私の父親の積賢治は、沖縄戦で、負傷しながらも生き残った人間でした。生前の父は、沖縄戦についてほとんど語ることをしませんでしたが、その軍歴は調べることはできます。それによると、沖縄を守るために編成された第三十二軍に中国大陸から編入された第六十二師団の独立歩兵第十四大隊という部隊の第三中隊に属する小隊長として、積賢治の名前があります。この部隊は、沖縄上陸のアメリカ軍の進攻を遅らせるために戦ったことで有名な賀谷中佐の指揮する独立歩兵第十二大隊と共に、沖縄戦のはじめから終りまでを最前線で戦い続けたのです。あの沖縄戦は、軍事的に見れば、その前のペリリュー島や硫黄島と同じく、アメリカ軍に対して、日本軍というより、日本兵というものに決定的な刷り込みをしたと考えられています。それは、二度と日本兵とは戦いたくないという、ある種の畏敬の念といってもいいものでしょう。それが、占領軍による日本支配が長く続いた最大の理由だということに、私が気付いたのは、二十一世紀に入ってからでした。恐怖は心を閉ざし、思考を停止させます。それは、人間も国家というものにも共通する宿命なのです。

(つづく…)

二千二十二年 七月一日 積哲夫 記