昔は、「健全なる精神は、健全なる身体に宿る。」とよく言われたものです。その為、当時は一生懸命家族の身体面の健康作りに意識したものでした。子供のころより台所に立つことが多かったわりには、味覚に乏しかったことで理科の実験みたいな料理に遭遇する家族は、ある意味被害者かもしれません。加害者意識の無いまま、両親や子どもが病気になることで、原因探しに翻弄します。医療の次にたどり着くのが「食」でした。魚はどこどこのもの、野菜は誰々さんの作ったもの探しに始まり、最後は毎日使う調味料が一番大切なのではと、探求の気持ちが続きます。
その日本料理に欠かせない、「さしすせそ」の使い方は本当に難しいものです。日本の調味料は米を主体に作られた、酒・酢・醤油・味噌に加え塩で、ほとんどの料理は作られます。その米を基とする麹作りに縁ができたのは、五十を過ぎた頃でした。自分で調味料が作れるとは嬉しかったものです。気が付けば、食はほとんどのものを買うものと思い込んでいた時代に生きていましたが、しかし、よく考えてみますとこの国では昔から、手前味噌などという言葉があるように、自給自足をしていたのです。米と大豆を自前で作り、海の塩とを合わせたうえに、寒さという圧を加え、時を溜めます。味噌一つとっても自然界との繋がりを感じながら、物作りの嬉しさを日本人は知っていたのではと思うと、自分自身も嬉しく物作りから元気を貰いました。
麹作りは、蒸した米にこうじ菌をつけ、室に入れ醸す時間を待ちます。不思議なもので、こうじ菌を蒸し米につけていると、手がつるつるとし肌艶が良くなります。気が付くと肩が軽くなり、終いには体の中からポカポカします。また、室の中ではほんのりと菌の発光の世界を見せてもらい、時には菌へ音楽を流すと出来上がる味が違うなど、この不思議な世界を通して、人は微生物と共に連携しこの宇宙で生きていると知ることになりました。この微生物の世界を理解する経験が、三十代の頃、あるスーパーのコンサルタントに同席させて貰ったことです。スーパーのバックヤードの生鮮品を処理するところでは、清掃をしても臭いの処理が難しいという事で、閉店後その臭いを処理するために植物抽出液を使いました。早朝スーパーへ出向くと確かにバックヤードの臭いは無くなっていましたが、その臭いが店内のレジ周りに移動し溜まっていました。当時、この事象を検討した結果、菌はある種の電気エネルギーを有し獲得するとの判断になりました。
この電気エネルギーについては、家族の病気で東洋医学にかかっていた折、経絡に気が流れておりその気の停滞で凝りが発生すると聞き、その頃はイメージができませんでしたが、その後、気象、暖気、寒気、電気、気分、気持ちなどという言葉で表現された気の溢れている世界があり、更に家電の普及などで電気と言うものが身近になりやっとイメージらしきものが出来ました。只それを知り得た結果、家族の為に食材や調味料を選び料理をするだけでは、終わらない世界が我が家の台所に待っていました。