87.時の流れ

 普段の生活に戻った私は、その後、水墨画の住職に勧められた坐禅を行うようになっていた。朝起床後と就眠前の二回を僅かな時間ではあるが欠かさず行うようにしたのだ。しかし、残念ながらあの不思議な禅寺での坐禅体験のような光に包まれ高く上昇する感覚には一度もなれなかった。それでも私はあの感覚を求めて続けていくうちに、毎日の仕事や生活での出来事の中で自分の行動や考えや感情などを見つめ直し、誤った思いは改めるようにする習慣がついていた。同時に、私は古書店で書かれていた言葉やお寺で住職と会話したことなどを思い出し、人間の精神についてやこの世というものについて考え、ときには夫婦で話し合うこともあった。

 そんな日々がいつしか私達夫婦の生活スタイルを変えていったのである。決してそれを望んだわけではないが自然と生活に無駄なものは無くなり質素になっていた。それは必ずしもお金を節約するということではない。生活で必要なものであれば、それがたとえ高価なものでも自分たちの感覚で輝きと言うか光を放つものであれば可能な範囲で購入した。
 またTVなどのマスメディアやSNSで煽り立てるような話題や流行りや噂などには一切左右されず、先入観を取り去り、自分の目と耳で真実を求め冷静に思考し世の中を見るようになっていたのである。それは、意図的なのかは分からないが現代社会に作られたあらゆるフィルターのようなものから解放されていく感じだった。
言い換えると、何か人間社会と言う大きな枠の外から世の中を見ているような感覚なのだ。そして、それは今まで常識だと思っていたことへの違和感を持ち始めたのである。
 

        ...こうして二十年の歳月が経過した。

 
 私達夫婦は、もうすぐ五十歳になろうとしていた。
二十代後半で授かった一人息子は高校卒業後すぐに就職し独り立ちしていったが、ここに至るまではあっという間であった。一般的な家庭であれば大学へと親は薦めるのだろうが、

「早く社会に出て働き、経験を積んで世の中、人間社会を自分の目で見極め、自分のやるべきことがしたい。」

と言う息子の意思を私は尊重したのだ。
しっかりとした考えを持ち、常に前を向いて自分の道を進んでいく息子に、我ながらよくできた息子だと感心したものだった。

 私達夫婦は息子に対し自分の生きる目的というテーマを物心ついた頃から考えさせるように育ててきた。そして、これまでの人生の中で私達が気付いた大切なことや考えを惜しみなく伝えたのだ。一般家庭とは少し異なった価値観や思考が、そんな今の息子の生き方になったのだと私は思った。

 こうして息子が巣立っていき、私はそれを機に転職に踏み切った。長年務めていた会社を退職し、以前会社の取引先であった工務店に再就職したのだ。再就職先での給料は以前の会社に比べれば半減するが、残業は無く休日も大手並みにあるというのが魅力的でこの会社に決めたのだが、それには理由があった。自分の時間をもっと作りたかったのだ。
 私はその時間を自己啓発に徹した。とは言っても仕事とは全く関係のないことである。それは、精神についての学びを深めたかったのだ。そのために名のある思想家の本や哲学書、または宗教的な本などを読みあさった。気功や呼吸法と言った身体を使った体験スクールなどにも一時的に入会し学んでいった。
 しかし、あのとき古書店で手にした古本のようなインパクトのあるものには出会えなかった。どの本も間違ったことが書かれているわけではないだろうが、私が求めていることと違っている気がするのだ。
また、あの禅寺での坐禅で体験した上昇していく感覚、光の柱の中にいる感覚には全く出会えることは無かった。

 そんな日々を送っているなか、その時は突然訪れた。
私と宙美は買い物帰りにあの古書店のあったアーケード街に二十数年ぶりに訪れた。少し寂れたその商店街をあの時と同じように駅に向かって歩いていたのだ。私は、

「もう流石にあの古書店は跡形もないのだろうな。」

と心の中で呟いていた。
ところが、私達があの古書店のあった辺りまで近づくと宙美が、

「あなた、あそこブック・カフェみたいよ。」

と言った。そこには「こころの本と喫茶」と書かれた表札が店の入り口にかかげてあった。そのとき私は目を疑った。あの古書店だったところがブックカフェになっていたのだが、あの時と殆ど変わっていない光景だったのだ。店は未だにガラス格子の木の引き戸がそのまま使われていた。ガラス全体が店内への射光を抑えるためか多少暗めにフィルタがかかっていたが同じものだ。一番驚いたのは未来古書店の看板がそのままだったことだ。私は、

「どうせだからこのブック・カフェで一服しようか。」

と言って、宙美を誘いカフェに入った。

 店内に入るため引き戸を開けるとカランコロンと呼び鈴がなった。同時に心地よい珈琲の香りが漂ってきた。暖かみのある電球の照明に何となくあのときの雰囲気が蘇ってきた。それ以外にもいくつもの小型のスポットライト電球で壁の本棚を照らしており古いながらもシックな雰囲気が私はとても気に入った。

 内装は、入り口左側の壁の本棚が二十年前のものがそのまま使われいるようだが、もう片側の壁は本棚は外され長テーブルに変わり椅子が並べられていた。店内中央には大きめの丸テーブルがあり何冊かの本が中央に置かれテーブルの周りにも椅子が数脚用意されていた。古書店のときにあったレジ辺りはすべて撤去され奥まで広げられておりその一部が調理場となっていた。

「結構店内の奥広いんだ。」

と私は呟きながら宙美と壁側の長テーブル席に着き珈琲を注文した。