お寺の庭園の手入れをしている住職を見かけた私は、すぐさま、
「おはようございます。昨日はありがとうございました。」
と声をかけた。すると、住職が私達のほうを向き、
「どちら様でしたかね?」
と言われた。私は、
「しまった、間違えた!
後ろ姿が似てたからてっきりご住職だと...」
と心の中で叫んだ。私は気を取り直して、
「すみません人違いでした。ご住職はおいででしょうか。」
と、改めて言い直した。ちょうど住職と年齢や風体が似通ったその年老いた男性は、
「私がこの寺の管理人ですが、この寺にはもう何年も住職はおられないですわ。」
と言われた。私は、
「え!?
昨日、ご住職にお会いしましたよ。」
と言うと、再び管理人は、
「昨日は所用で山門も本堂も閉めて出かけておりましたからこの寺には誰もおらなんだはずですがね。普段もほとんど私一人だけです。」
と返された。私と宙美はお互い顔を見合わせ首を傾げた。私は、
「私達、昨日ここで座禅体験をさせていただいたんです。
本堂の裏に講堂がありますよね。そこで行ったんですが。」
と言うと、管理人は、
「いいえ、本堂の裏には何も建物はありませんよ。」
と言われた。私はそんなはずはないとその管理人に許可を得て裏にまわることにした。宙美が速足で向かうのを私は後からついて行くと、
「あなた、裏は寺の塀よ!?」
と驚いた声で言った。私は目を疑った。少し広くなっているが確かに塀になっており講堂など建物の痕跡は全くないのだ。宙美が、
「でも、あのとき縁側に上がったときの楕円形の大きな石はあるわ!」
とそちらに指差して言った。確かにその石はあった。置かれている位置も同じ場所だ。私達は呆気に取られてその場で立ち尽くした。私一人だけの出来事ならまだしも、宙美もその場に同行し同じ体験をしていたのである。疑いようがなかった。ところが現実は異なっていたのだ。
私は本堂前に移動し昨日の体験は何だったのだろうかと混乱しながら考えていた。私は、
「すみませんでした。おっしゃる通り何もありませんでした。」
と管理人に伝え、昨日の出来事を詳しく説明した。管理人は、
「そうでしたか。
このお寺は随分歴史があるようなので、もしかしたらここのお寺を建てなすったお坊様が出てこられたのかもしれんですな。」
と、なんの疑問も持たず、さらっと言われた。そのとき宙美が、
「あなた、あれ見て!」
と本堂の扉の前で呼んでいた。
太陽の日が差し始め、私は外光と本堂内の明るさのギャップで内部の様子がわからず本堂の扉前まで近づいていった。徐々に目が本堂内部の暗さに慣れてきたためゆっくり内部を見渡した。そして宙美が指し示す方向に目をやった。そこには大きな水墨画が飾ってあった。私は、
「あ!昨日のご住職だ!」
とその水墨画に描かれている人物を見て驚いて言った。
「あの水墨画に描かれているのがこのお寺をお建てになったお坊様だそうです。
私も詳しいことはわかりませんがね、先代のご住職からそう伺っておりました。」
と管理人が教えてくれた。私はこの水墨画に描かれている住職が私達に坐禅を教えて下さったのだと確信した。普通に考えればとても不気味な怖い体験のようだが、なぜか私達は全くそんなことは感じず、むしろ住職に対してありがたく感謝の気持ちだけが残った。宙美が、
「あなた気が付いてた、水墨画のご住職の下!」
と言われ、私は住職の下に目を移した。そこには私達が縁側で使った楕円形の大きな石が描かれていた。水墨画にはその石の上で住職が坐禅をしている様子が描かれていたのである。私は、
「あの大きな楕円形の石はご住職の修行場だったのかもしれないね。」
と言い、私は改めて水墨画の中の住職を見ていた。
「絵の中のご住職、何となく僕たちの方を見て微笑んでいるようにも見えるね。」
と話すと宙美もうなずいていた。
私達はお寺を去る前に住職の描かれた水墨画に向かってお礼を言い、坐禅体験料としていくらかお賽銭に納めた。
その後、私達はお寺を去り宿泊先の温泉旅館に戻った。旅館の部屋に戻ると私は宙美と昨日の住職がお話しした言葉や体験を思い返していた。私は、
「あのお寺でご住職は僕たちの迷いや疑問そして道を教えてくれたんじゃないかな。
それは、言葉だけではなく坐禅という体験の中でも伝えられた気がするんだ。」
と言うと宙美が、
「そうね。それと、あなた達は安心してそのまま進んで行きなさいって言われた気もしたわ。」
と話した。
私にとってこの旅は、あの古書店での出来事と同様、以後の人生観を大きく変えていく出来事の一つとなっていった。
そして、私達はそんな不思議な体験をした旅からも戻り、旅先でのゆったりとした環境とは裏腹の日常の喧騒とした人間社会へと再び戻っていった。