話しは遡る。
1991年6月嵐の日、あまりの天候に周囲が反対する中、それを押し切るようにして高田弘子さんは高野山の奥の院へと向かった。導かれるように、空海さんに呼ばれたような気持ちがして、高野山に登った。壇上伽藍を抜け嵐の中で出会ったその人は、行者姿をした「空海さん」だった。やがて嵐は収まり、帰る途上で空海の掛け軸と金龍の置物を買って自宅に戻る。その数日後のことである。事件は起こった。時は真夜中。買ってきた空海の掛け軸を何気なく見ていると、バシッと音がしたと思うと、掛け軸の中に光が入った。そして今度は高田弘子さんの身体の中にも。『金龍が眼を射抜くようにして』入ってきた、と高田弘子さんは話す。家族が寝静まる夜中のことである。息を整えるようになだらかな丘の上に座るイメージをして瞑想しようとしていると、『光 明 遍 照』という金色の文字が浮かんできた。外に出て夜空を見上げると、流星群がこぼれんばかりに広がっていた。この美しい日本の国土を、心の底から大切にしたいという思いが沸き上がってくる。涙があふれた。
いくつかの不思議体験をしていた同時期、1989年8月高田弘子さんは書物〈空海の大予言〉に出会っている。その表紙の空海さんのギョロっとした大きな目。一気に読み終えたあと睨まれているような心地がしてドキッと、思わずその単行本を遠くへ押しやる。しかし思い直して、もう一度本を手に取ったその瞬間
「脳を変えよ、心を変えよ!方法は瞑想」
というお告げを受けた。瞑想教室をはじめるきっかけを高田弘子さんは話してくれた。光明遍照という言葉とともに、空海さんの思うような活動が出来ているか、と自問自答する日々が始まる。今、『説諭士』として、相談所を開いている高田弘子さんの活動の原点がここにあった。
