1989年正月、出石市の稲荷神社で高田さんはどこからともしれぬ『声』を聴いた。「許す・・・」見上げると神社の鳥居近くに、大きな光の玉。まぶしく強烈な光。その時撮った写真には、光の玉がくっきり映り込み、放射状に光の束が広がっていた。言葉が浮かんでくる。たましい、月、日(火)、神、水、星、土、風。生きる上で欠かすことのできないワードたち。互いに補い合い、切ることのできないもの。曼陀羅のような図があたまに浮かび、理解が深まっていった。その夜、不思議な夢をみた。雲一つない真っ青な空、白がまぶしい玉砂利、遠くには水平線が光る。目を凝らすとこちらに向かって、ぞろぞろと歩いてくる大勢の人たちがいる。神様だ。一塊のグループを作って神様たちは、高田弘子さんの前で名乗りを上げる。ずーっと列をなして名乗る順番を待っているようだ。そんな不思議な夢を見た。
不思議な玉のメッセージを受け取ってから6年の月日が経った。元旦の朝、高田弘子さんは再び不思議な夢で目を覚ました。子供たちがひざを抱えて座っている。その姿は生きる希望を失いかけているように見えた。この子たちを絶対に死なせるわけにはいかない。高田さんは必死に夢の中の子供に語りかける。すると子供たちの足元が少し明るくなりシルエットは、だんだんと明るさを増していった・・・と、いきなり眠りを遮る声。「おい、テレビで素晴らしい富士山の初日の出だ」と夫に起こされる。あっ!今の夢のなかと同じ!!テレビの中の富士は、子供たちを照らしていた光を浴びて輝いていた。「子供たちに夢と希望を」「心の法を学べ、ヒントは酸素、空気、太陽」生きていくうえで欠かせない酸素や日の光。健康の恩恵、限りない恵み。現実の暮らしのなかでその存在に感謝を忘れていないだろうか、あらためてそこに意識を向けよというメッセージだと、気づかされた。そして自分は何をしたいのだろう。子供たちが希望をもって生きていける世の中を。そのヒントとして酸素と空気と太陽・・・自分にはいったい何ができるだろう。その時、高田さんの頭の中に、空海さんの姿、硯箱、大きな筆、が浮かんできた。何かを書きとめなければならない、そう思えた。突き動かされるように大きな筆で綴った言葉は
「神ながらの道」だった。
