「助けて・・・」悲痛な私の電話に、その夜駆けつけてくれた高田弘子さん。妹の鳥羽里美さんと共に浄霊の鈴の音を鳴らしてくれたのだ。ひと月以上、痛み止めを飲んでもほとんど効かず、寝たきり状態。もう治る日は来ることなどあるのかと地獄のような苦しみと戦っていた私にとって、鈴の音とオイルでようやく痛みが和らぎ始めた事は、まさに希望の光を見た思いだった。あの強烈な腹部の痛みが、高田弘子さんの『浄霊の鈴』により和らいでいったのである。数日後、車の中に横たわったまま、であるが、我が夫の運転で遠く離れた場所へ旅行もできたのだ。自宅から950㎞も離れた場所への車の旅。目的は全国の医療専門家の大会参加だった。体に無理をかけない方法で動かしながら痛みを取り除く、いわゆる『操体法』という技法を私は長年ライフワークとして学んでいた。その大会を何カ月も前から楽しみにしていたので、痛みを堪えながらでも何としても行きたい大会の地だった。しかし行きたい気持ちとは裏腹に体の痛みは持続して、とてもでないが行ける状態ではなかった。悔しいがあきらめるしかない…この痛みは生きている限り続くのか。痛みのこと以外何も考えることができなくなっていた。そんな最悪の苦しみが、高田さん姉妹の訪問により解放されたのだ。奇跡としか言いようのない話である。
この話には続きがある。 後に私と高田弘子さんにとって共通のご先祖様が、婚家にあったと知ることとなった。痛みが出るひと月前、わたしは病気で入院していた姑を看取った。嫁である私をとても大事に思ってくれた姑だった。姑の通夜の日、私は一族の抱えていたマイナス因子を姑から引き継ぐことになったのだと、これは精神学協会の会長のことばである。私の中でその言葉が熟成し先祖に対する感謝の気持ちで理解を深めたとき、痛みのほとんどは消えていた。私は一族の問題を含め、マイナスの思いを昇華させ、責任を果たしていく覚悟を問われたのだ。