光と闇の分離 その七 精神学がわかる人とわからない人
◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千二十一年 六月十六日 配信
何田:積先生、質問です。霊界にいる霊とは、何でしょうか? 最終知識には、「神界も霊を残した。魔界も霊を残した。そして、人間の霊界も霊を残していた。」と書いてあります。この霊というのは、何のことでしょうか?
積:霊というのはメモリー(記録、記録されたもの)です。霊が残らなければ裁き(さばき)が起きないから。神も裁かれる、悪魔も裁かれる、人も裁かれるのです。
何田:霊は本体ではないということでしょうか? 脱皮した殻(から)のようなものでしょうか? 最終知識に記載のある、アマツツキ様は積先生を通じて光の宇宙に行かれました。
積:そうです。
何田:アマツツキ様の霊がその・・・。
積:はい、わたしのところに来ました。霊というよりアマツツキ様の闇の部分、魔ですね。その魔を処理するのに時間がかかりました。本来、霊というのは、記録です。ちゃんとその記録を読んだら、もうそれで解消されます。エネルギー体として残らないのです。
何田:あっ、霊(記録)を読む人が必要だということですね。霊(記録)を読むことで・・・…。
積:そうそう、霊(記録)を読むことで問題が解決されるのです。よく考えてごらんなさい。霊がなければ、騒ぎや問題なんて起こらないでしょう。霊という記録が誰にも読まれず、無関心に放置されたままになっているから、騒ぎや問題が起こるのです。皆さんが霊を読まないからです。霊は誰かに読まれれば、エネルギー体ではなくなり、データだけになって、静かになります。人間霊界は、神様業界から見たらあまりに穢(けが)れているので、関わりたくないから放ってあるのです。最後の審判の時に、それも含めて全部(神様の霊、悪魔の霊、人間の霊、他の霊)、大そうじになります。それがこの二千二十一年から始まるのです。どれだけの時間がかかるのかは、わかりませんが。
何田:今まで残っていたのですね。
積:そうです。今まで大そうじをしていないから、これから、約束が実行されます。その大そうじを、最後の審判、または立て替え、立て直し、といいます。対象は地球上の全ての意識体になります。何ものも逃げることはできません。
何田:それは、おもしろいお話です。
積:過去生きた人間の中の、最良のたましいの者達が、精神学の光文書の記録の中で、どんどん復活して、光の座を得て、かつて神と呼ばれたもの達と共に、今地球上で働いておられるのです。それの示すところは、命(いのち)は永遠だということなのです。
だからあなた達に、よくよくいっておきます。
・『その辺に漂(ただ)っている霊』になりたいのか?
・きちんと働いて『神様が保存しておいてくれるような光の働きをした、たましい』で死にたいのか?
どっちにするの???
子供の頃から、この問いかけを教えてあげれば、日本人はもっとよくなります。(かしこく元気になります)
何田:積先生、命の書についてもう一度教えてください。命の書は、そのたましいに関与しますか?
積:そこに関与します。命の書に登録をするだけで、やがてあなたは光の世界”に行けますよ、と、わたしの神様(積先生をつかさどる存在様)が、約束(やくそく)されています。今、地獄の底にいるたましいでも、命の書に名前を登録すれば、光のものとして生きることができます。チャンスが与えられます。命の書は、わたしの神様(積先生をつかさどる存在様)の愛(あい)そのものです。たましいが地獄の底の暗黒領域に行っても、光のものとして再度働けるという救済措置、それらは約束なのです。
何田:命の書は一万円で登録できる約束ですね。その、命の書の登録は、名前がわからない人、亡くなった日や性別がわからない人の、たましいでも、登録ができるからおもしろいですね。
積:登録ができます。たましいのおもしろいところはね、この世界に入ってひとつわかった点は、その辺の人間霊界も含めて、人間のたましいは、最後の審判の日まで、ぜんぶ置かれているということです。どこかに。ぜんぶといっても、もう転生している人は、別ですが…。たましいはまちがいなく、どこかに置いてあります。亡くなった人のたましいとお話しができたり、コンタクトをとれるのは、そういうことです。
何田:最後の審判を終えたあとの、たましいはどうなりますか?
積:あとの、次の時代になった時にはもう関係ないのです。もう別世界だから。たましいは、振り分けられます。つまり光の宇宙で生きるたましいと、闇の宇宙に去る たましいに振り分けられて、お互いは「はい、さようなら」です。いま、生きている人にお伝えしておきます。精神世界というものがあります。生きている人間の心は鏡(かがみ)なので、いつの時代の精神世界を心が映しているか? によって、人間の生き方が変わります。(何田注:重要)
どういうことか? というと、千年前の精神世界を心が映している人(今生きている人)に精神学のお話しを繰り返ししても、その人はわからないのです。現在、肉体を持って生きている人間であっても、心が昔のそれぞれの時代の精神世界を生きているから、その人の人生は、どうしてもその精神世界を表現した生き方になるのです。それは『知識が昔のままだから』です。人に、精神学を説明して、わかる人と、わからない人がでてくるのはそのためです。 精神学に興味を持つ人は、心の精神世界が最先端に位置し、同時にたましいが最上位に位置する、人だけが精神学に興味を持ちます。
それは親、兄弟、家族であっても、友達であっても、お互い分かり合えないのはそれが理由です。
