台所から宇宙へ61

畑の野菜は、霜にもめげず、雪にもめげず、夜は雪の下で静かに耐え、昼間は太陽の光が差しますと凛とした姿に戻ります。耐えているとは人間的見方であり、むしろ自ら糖を作り出し寒さを超え、淡々と成長を続けると言われます。正に、自主自律の仕組みを歩んでいると言えるでしょう。移転し二度目の冬を迎えますが、人間の体は不思議なもので、寒さに対応できる体になりつつあると最近は感じています。冗談にも、糖は体内に十分備蓄してあると自負していますが、そんな簡単な仕組みではない様です。昔、子供の剣道の寒稽古に、寒くても「寒い寒いと、言うな。」と、指導者に言われたものです。気持ちや意識の問題と言われた子供は、真面目に反論もせず指導に引っ張られ練習をしたものです。霜焼けが、稽古の勲章の分かれ目だったでしょう。

さて、前回の続きへ。

十二月上旬、最後の見回りへ各池を訪れました。八月から草刈り整備へ行ったどの池も更に整備がされており、池周辺の土地も綺麗に草刈りがなされ、全体が整い清々しい空気に変わっていたのでした。斜度の厳しい刈り残し場所や、何年も手を入れてなかった地形も昔の姿を取り戻したかのような景観になっていたのです。

①池 妖精が案内してくれた池は、電信柱の周囲から岩山の木々は手入れがなされており、木々の香りたつ空間になっていました。岩の前にある赤い万両の実からは、神聖さを引き立てているように見えました。更に、谷へと繋がる水路沿いも綺麗に刈られ、休耕田の地形が見えるように整備されていました。

②池 県境に存在し守りゆくものある場所も、地元民の手が入り池全体が見渡せるようになっていました。再度、感謝の意を伝えました。返信は

「はれわたり みよのせかいへ」でした。

古池.新池 その日は集水溝広場へ太陽の光が照らし、新池の水面は鏡のように静止し、山の木々を写しまるで絵画を見ているようでした。手彫りのトンネル入り口も太陽の光が届き、明るくなっていました。そして、古池と新池の中間にある十メートル角の池の油膜がなくなり、底の見える透明な姿になっていました。更なる不思議なことは、古池、新池から五キロ程南下した池では、滝の落差を利用した水路の気味悪さもなく、滝は息を吹き返したかのように凛とした水を落としていました。そこでは、

「かぜふきて ともしびともり

よのひかり ひびきわたる」と、

まるで連絡網が張られている様に感じました。

③池 池に向かう朝の浄化上昇で、今日は龍が天へ登るというビジョンを見せられました。現場へ着くと、なんと神社裏の倒木の木々や廃材が片付けられており、祠も気づかない程の長い丈の草は刈り取られ、綺麗な広場が出現していました。草刈後四十日程にて堤や法面の草は生えておらず、現場の確認後池を眺めていますと、

「さやけきみよのしらべに あかるきかな

ごうほう(遠くに聞こえる号砲)とともに

うをみちずれに すすみゆく」の言葉とともに、

水面にいた鵜が一斉に飛び立ちました。そして、飛びたった先の空には龍の雲に顔があり、まさに天へと上がられたのでした。

④M池 水というのは、自然的でも人為的でも流れを変化させ生き続けています。ここは、元々山のダムから引き込んでいる池とのこと。そして、昔は川であり上流から何ヶ所か溜め池を作り、M池が最後に作られたようです。そのM池が作られる前は河原のようになっていたそうで、五十メートル程上の丘に神社があり、その足下では芸能小屋が隣接し、小さな広場で賑やかな時代があったと、地域の世話役長は歴史を教えてくださいました。やがて、溜め池が作られ、河原の芸能も消え、神社も今風の建物へと作り変えて、今では季節のお祭りでしか人の賑わいは見えないそうです。特に、水場というのは人を巻こむケースが多く、怪我や事故が多く、段々と若者からも敬遠され、場が悪くなり寂しい空気を醸し出しています。市街地に近い地域のため荒すわけにはいかず、若者の地域への世話離れに高齢の世話役長も悩んでおり、行政への依存度も高くなり始めています。これから、農業は従来とは違う新しい方式で営むことが必要ではと思った中、

「きみなれば

ことのなりゆき さだめしとき

つたえたるおもい しらしめたまえ

あたらしきよにおいて うみだすなかれ

かなしみなり」との言葉が。

今までは、その場の負のエネルギーを感じ取り、思い巡らす程度で過ごしていましたが、これからはそのエネルギーの存在を知り得たら、意味を思考し解決の方向へ歩むことを求められています。歴史の中に取り残されたエネルギーをおまつりして、二度とその負のエネルギーを発生させない。そのことにより、場が綺麗になると綺麗な波動が伝播をして益々綺麗になってゆきます。いつもお清めのプロセスで、水面の波が静止して必ず鏡の様になります。まるで、自身の心の在り方を写し、天に見られている様になります。昔の人は、こうして自然界を鏡にして生き方を整えていたことでしょう。

以上、メモとして残しておきます。

さて、令和七年もあと残すところ二日となりました。その様な年の瀬に、昭和三十八年十二月二十八日生まれのピアノが届きました。翌、昭和三十九年は、東京オリンピックの年で、かれこれ六十二歳のピアノです。四十年ほど弾いていないようで調律は必要ですが、冬休みの子供達が鍵盤を触わり、弾けば弾くほど音が息を吹き返している様です。また、音の響きで建物もまるで喜んでいるいるような、そんな喜びを運んできてくれたピアノ。池のカミサマからのご褒美の様です。