暦の立秋から、はっきりと風は秋の風に変わりました。南域の街では、第一次取水制限に入るというニュースにて、そこで近隣のため池を見回りますと、水量は50%位くらいの景色でした。地元の農家さんからは雨乞いの声が出る中、翌週からは連日の雨降りという様子に変わりました。お陰で、草木は一変に息がつけたよです。緑の色は生き生きとして、水を得た喜びを表現して、草木は一晩ごとに成長した姿を見せてくれます。人の都合では立ち行かない仕組みに、天へ感謝致します。そして、この所昼過ぎ頃までは晴天で、三時ころより雷雨の恵みとなり、自然のリズムが回復に向かいつつあるようです。作付けの早い田んぼでは、もう稲穂が姿を見せてくれていますので、収穫がいただけます事を祈るばかりです。天地あっての人間世界、朝な夕なに感謝と祈りを行う生活が、今からでも実行することが、人間は問われているようです。
人生の点と歴史の証言
前回に続き、ユーラシアとは、アジア州とヨーロッパ州を一続きの大陸としての呼称とされていますが、アジア州、ヨーロッパ州という「州」が付くと何か不思議な気がします。そして、ヨーロッパ州は、何処か遠いイメージがあります。そのヨーロッパの中の一つに、この島国とよく似ていると言われるイタリアの地に、降りたことがありました。
日本から偏西風に向いながらの西へ約9800㎞の所にあります。首都ローマの街は、昔の石畳が残っており、その上を大型バスが走ります。その振動からは、ローマ帝国当時を思わせるエネルギーに満ちた戦士たちや戦闘の力が伝わってきた気がしました。只、正直その振動から早く解放され、アスファルト走行を願ったものでした。やがて、二時間の北上する車窓から見えるのは、丘と城壁、城塞ばかりです。その中には、必ず教会の建物も見えます。ヨーロッパの中でもイタリアのお城の数はとても多く、それだけ貴族の数があるということです。
港湾都市国家と領域国家のイタリア半島では、紀元前753年に都市国家ローマの建国がなされ、王政で営まれその支配層の中には神官や官僚、戦士階級が含まれ、豊富な財と特権を保持し、権威の世襲の形が貴族の始まりの様です。隣国のエジプトやギリシャとの交流からも、この支配階級の基礎はイタリアへも流入していると見えます。やがて、紀元前509年には、王が追放され共和制へと移行します。最高公職者の選出や立法を行いますが、更に公職経験者からなる元老院が諮問機関として実権を握るなど、重なる支配構造が見え隠れします。そして、その背景には富と言う豊かな恵まれた土地や海が礎にあると見えます。この国と同じで、ほぼ海に囲まれ交易が盛んで、地勢多様な地域の特色ある作物に恵まれ、マンマのご飯と言われるだけあり、食文化が豊かでありました。但し、歴史を考慮すると、農民の食と貴族の食の融合が、今の観光業において体験できたと言ってもいいでしょう。中部のトスカーナでは、散歩をすると足元にある路地ぶどうの美味しい事。豊富な野菜、魚介類とそれぞれに合うワインに始まり、デザートに合うワインまで登場します。まるでお茶代わりに、ワインは飲用されていました。
さて、ヨーロッパの中の一国やアジアの一時を見ただけですが、そのお陰で世界史と日本史の歴史を見ているうちに、地球でおきていることは、だいたい大きなストーリーの中で、動いているのが見えだします。この国もその流れに漏れていないことが分かりました。そのストーリーには、政治、制度、経済、思想、宗教、文化など、時間の差はあれど、国ごとに織りなされ、更には国々が絡み合いその中に必ず、バイオリズムのように現れる戦争も含まれます。
これは、地球史の中のたった数千年と言う時間の中の事で、何処までも続くように見えますが、今人間の力ではどうしようもできない近年の天候不順のように、見えざる力、または法則を自覚し、争いの無いストーリーへと変化させる責任方法が、神の存在を自覚して生きる事と考えます。この国では、自然を崇拝し、神社仏閣で手を合わせ、生活の中では全てのモノに向き合い敬い、利他の精神で社会生活を営む基礎があります。終戦当時、小さな子どもがGHQよりチョコレートを貰った折、母親は「ありがとう」の御礼を言う事を教えたという話を聞きました。そして、翌日苦しい生活の中からわずかなお米と大根を持って、その母親はGHQへ御礼に行ったという事です。敵国であっても礼を尽くす国民性。唯一、戦費借金を完済し、必ず筋を通す国民性が次なるストーリーへ大きな働きをするのではないでしょうか。
