日照り続きが、かれこれ30日近く続く中、畑では草に覆われながら、野菜や大豆が頑張っています。雨雲が見え喜ぶ間もなく10粒ほどの大粒の夕立に言葉もなく、天を仰ぎ見ながら時を待ちました。が、その10粒が最後で、今日に至っています。そして、先月末来カムチャッカ地震による津波で、海が荒れています。もう陸も海も地球の怒りは限界の様です。
人生の点と歴史の証言
生きてきた中で、時代の流れと共に東へ意識が向かい、アメリカ大陸と言う地を踏みました。しかし、この国から見れば西には、もっと広い大陸が存在します。シルクロードによる交易歴史があるユーラシア大陸があります。起源前から東へと太陽を目指す民族や西へ移動する民族など沢山の移動記録があり、更に、マルコポーロの大航海時期から三百年程遡ること、この国では海洋大貿易が行われていた事が記されています。また、更に縄文期の優れた文化など、学校で学んでいない歴史がどれほどあるのでしょう。戦後教育の副産物として、「人生、過去には拘らなくても良い」ことに乗じて、歴史も知る必要は無いと判断したことが悔やまれます。また言い訳になりますが、明治以降の歴史については、三学期と言う落ち着かない時間の中で、さらりと流される授業でしたので、何一つとして記憶に残っていません。それは子供や孫に尋ねても、さらりと教科書を読むだけで、分からなかったと同じ答えが返ってきます。思い返すと小学生の時、同級生が夏休みにはピョンヤンのおばあちゃん家に帰ると聞き、そのピョンヤンの地理的なことや歴史も知らず、ただ飛行機に乗れることを羨ましがったものでした。
さて、西の大陸の歴史をひも解くきっかけが、身近なところで始まったのが遺品整理でした。義父は、父親の勤め先が万州鉄道でしたので、子ども時代を大連で過ごしていました。やがて日本に戻り成人してから、軍属として大連からハルピンへと進み終戦前夜、ソ連の捕虜になる事を見越した部隊長の行為で、軍人ではない軍属には帰還命令が下ろされ徒歩で大陸を歩き、日本の地を踏んだのは二年後との事でした。其の時の防寒帽子や毛布一枚が、嫁いだ時に大切に保管されていました。家族として生活を共にした時間の中で、口にするのは「マイナス20度は、絞った手拭いを叩くと直ぐ凍り、板上になるぞ。」というのみでした。戦地の事を訊ねると、「聞いてくれるな」という暗黙の空気が流れます。後は、死ぬまでに一度大連に家族で行き、支那そばを食べさせたいと、よく言っていました。
義母は、大日本帝国陸軍に在籍する父のもとに生まれ、義母の記憶では父親は職業軍人で高等学校の士官として勤めていたとのこと。それ以前は、資料として奉天視察記念や満州駐箚(ちゅうさつ)記念写真集により、満州へ行っていた事が判明しました。嫁いだ時から義母は、体調不良でよく横になっていました。その原因は、父親が満州時代に人を殺しているのではと考えていて、拝み屋や鍼灸へよく出かけていました。やがて、晩年義母は人生を振り返りながら写真や書き物などの整理をして、人生を閉じました。余談ですがお陰な事に、その生前整理の中には散骨や墓仕舞いの意思表示も含まれており、後に続く者は本当に精神的に救われました。
義父母を送った遺品整理の頃から、何かのエネルギーに影響されていることに気が付きました。そして、満州と言うキーワードで歴史検索をしていく中、当時のある暗殺された政治家に引っ張られて、さらなる歴史を調べる事になりました。進める中で、日本史だけではなく、東洋史、西洋史などまで机上に広げて調べないと全体が見えない事を知りました。極論を言いますと、全体像を前に、世界と言うのは形は違えど、本質的には同じことを繰り返している様に見えます。それが戦争です。特に、歴史の古いユーラシア大陸には、繰り返す根源があると見えてきます。その法則を踏まえて現在を見てみますと、大戦前夜の空気を醸している気がします。(むしろ戦時下ともいう方もおられますが。)では、その大戦の反省から、私たちは、その時、なぜ日露、日清戦争へなったのか。なぜ大東亜戦争へ進んだのかを、思考する最後のチャンスと見えてきます。それと向き合わない事には、本来次なる創造はできないでしょう。
更に、歴史を見るにあたり、国外へ出てみて、始めて自国があるという有難さを思い出しました。つまり国境を肌で感じたからです。この国では大昔は、土地の境界など無く、食べ物に恵まれ、その食べ物のエネルギーを知っており、感謝を自然体で生きてきた民族です。家族単位、部族単位の居住交流で子どもは大勢で育て食料にも恵まれ、平和に営むことができた民族です。やがて作物生産からの分配を機に格差、身分、利益、宗教、権威神受など派生してゆきますが、この国では作物生産をしても必ず祈りと感謝をセットに生きてきた国民です。つい100年程前までは、神と共に生活をしていた国民だったと思います。そして、盆正月のように帰る故郷があるのと同じで、今のグローバル化した時代に、帰る自国がある事の安心感がどれだけ人生に大きな影響を与えている事でしょう。まんが日本昔話のエンディング曲ではありませんが「帰ろ お家へ帰ろ」という、お家はイコール国に値する感覚で、安心感でもありました。この安心感は、この国が築いてきた歴史にあると考えます。そういう意味では、先人へ感謝を申し上げます。
今回、歴史の一部の満州国について調べるにあたり登場をした政治家の弁ですが、「家族を愛す、部族を愛す、 ただそれだけの為」とのことばでした。世界を見渡し、愛しているがゆえに戦いを始めざるえない側、愛しているがゆえに戦いを選ぶ側。しかし、その中の戦うという奥に潜む、一粒の因子が自身の小宇宙の中で分けれれば、世界は変わるのではと。世界中の人々がこの作業をすれば、その総量が世界を変えることは間違いないと考えました。其のうえで、今自身が出来ることは、因子を見つけ、分けることを行動に移す事。その一つが、地球の怒りへの謝罪に繋がる事を信じます。
